この世界の片隅に。
この言葉と共に浮かんでくる情景はなんでしょうか。
何が頭に浮かびますか?
映画を見ていない方にはわからないかもしれません。だから、是非見てほしい映画です。
我々にとってはもう、ただの言葉ではありません。
複雑な整理できない感情と共に、涙が流れてきます。
この世界の片隅に。
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この世界の中心で、世界の運命を変えるために戦う物語ではなく、この世界の片隅で、ひっそりと暮らしている浦野すず、改め、北條すず。そして、その家族とご近所の人々。
その前に、昭和20年8月が刻一刻と迫ってきます。昭和20年、1945年。終戦の時です。
ぼくはこの作品を誤解していました。悲惨で凄惨なタイプの、お涙頂戴の戦争反省映画なのではないかと思っていました。だから、正直言ってあまり好意的には捉えていませんでした。
ところが、鑑賞してみたときの感想はまったく別でした。
というよりも、この映画から受け取った感覚が、結晶化しませんでした。うまく解釈できなかったと言うべきかもしれません。
だから、困ったときの五百蔵さん。シナリオライターの五百蔵容さんをゲストに迎え、じっくりと語りました。
その中で、ぼくの「片隅感」が定まっていきました。と、同時に、ぼくが理解できていなかったら、恐るべき側面も浮かび上がってきました。
未熟でした。ぼくは作品を受けて感想を言うことすら満足にできないほど未熟であったことに気付かされました。
この世界の片隅に。
この映画、あるいはその原作には、ぼくが考えたよりもはるかに多くのものが詰まっていました。我々は、精一杯、語りました。この世界の片隅にという、永久に語り継がれるべき映画について。
まずは、其の1、オープニング。腹が減っては戦が出来ぬ。
次に其の2、北條すずとは何者なのか。文化祭実行委員長のわたくしが、この映画のメインテーマを探ります。
其の3、原作との比較。映画に心を震わせた方は必ず原作も読むべきです。
このように進行していきますが、最後にたどり着くのは「危険な映画としての『この世界の片隅に』」です。どうして危険なのか、この愛すべき作品が。
五百蔵さんからの提言は意外なものでした。しかし、聞き終えた後大いに納得しました。
この世界な片隅には、これ以上ないほど危険な映画でした。それは、言葉上のお遊びではなく、文字通りの意味です。これほど危ない映画はありません。もしかしたら、この映画によって、日本人は……。
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この言葉を、1つ深く、さらにもう1つ深く感じられるようになりたいものです。
少し重い文章になってしまいましたが、ハトトカはいつものように軽やかに始まります。
軽薄なチャラ男によって―。

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