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【特別回】シンゴジラ スペシャル ①「シン・ゴジラの世界観を読み解く」(ゲスト 五百蔵容)

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音源の内容の「一部」を文字に起こしました。
ハトトカのメンバーは3名いますが、全員「――」としてのっぺらぼうにしてあります。





――本日は、シン・ゴジラについての様々なシーンについて、深く語っていただくべくゲストをお呼びしました。五百蔵容(いほろい・ただし)さんです。よろしくお願いします。

五百蔵 よろしくお願いします。

――五百蔵容さんは、かつて「はりねずみのゲーム会社」でディレクターをされており、現在は独立してゲームの企画をされています。ところで、さっき聞いたのですが新世紀エヴァンゲリオンのゲームを作るかもしれなかったとか?

五百蔵 そうですね。おそらく世界で初めのエヴァンゲリオンのゲームを作るはずだったんですけど。

――そういえば「鋼鉄のガールフレンド」が「はりねずみの会社」から出ていましたね。

五百蔵 あれは、別のチームが作った結果できたゲームですね。途中でチームが変わってしまったのですよ。


(中略、詳しくは音声放送まで)

――当時の話はこの程度にしてシン・ゴジラの話に入っていきましょう。最初のテーマは……

「前田敦子は何故いたのか」


――私は3回観に行きましたが、3回目にしてようやく前田敦子がどこに出ているかわかりました(笑)あのシーンには意味があったと思われますか?

五百蔵 映画ファンの中では前田あっちゃんが出る映画にはハズレなしと言われています。もっとも、前田敦子として認識するのは難しいくらい短い間しか登場しないですよね。

―ということは、「縁起物の招き猫」のようなものですかね(笑 あのシーンではYOU TUBEやニコニコ生放送の場面を使った現代的な演出のほうも気になりました。

五百蔵 庵野さんの映画の作り方は、エヴァンゲリオンの予告の「サービス!サービス!」という演出方法に象徴されるような方法がこの映画にも活きているんだなと思います。つまり、庵野さんは様々な「層」を映像のカットの中に用意するんですよ。

――なるほど。

五百蔵 例えば、「とにかく何かよくわからない事件が起きているんだ」というシナリオ面の「層」と、YOU TUBEっぽくモキュメンタリーっぽく表現し、それが面白いと思わせる「層」と、そこに表示されるニコ動のメッセージ、それも後で読みたくなるようなテキストが書いてあるというような「層」、さらに「前田敦子みたいな人がいたけど、あれって前田敦子なの?」と思わせる「層」とか。

――多層的な表現をしているわけですね!

五百蔵 冒頭のところで、すごくうまいなと思った点は、みんな海ほたるの地下のトンネルの中で遭難したら、横にトンネルがあるとか知らないじゃないですか。

――知っている人は限られるでしょうね。

(中略)

――シン・ゴジラ批判をする人の中で――、そんなに高度な批判とは思わないですけど、「こんなのスカスカな映画じゃないか」とか「ゴジラが歩いているだけじゃないか」とかいうものがありました。そういった人はこういった「多重な層」のどこにも引っかからなかったんですかね。

五百蔵 どこにも引っかからなかったか……、あるいは一つの「層」しか見れていないということかもしれないですね。

――ああ、そういうことか。例えば、オーケストラを聞きに行ってバイオリンの音しか聞いていない――、というような状況ですね。

五百蔵 この映画を一番初めに見た時に、「あまりにもよくできていて泣けてくる」ということを久々に体験しました。
「純粋に映画を楽しむ」というラインと「なんでこのように面白くできているのか」というラインでいつも映画を見ています。
この映画については初めからあまりにもよくできているので、「この場面をもって、こういった批判をするやつがいるだろうな」という点があっても、映画の中で「こういうことがあったよ」「このように描かれているよ」と説明がつくような構造になっているんです。
だから、よほど本質的な批判じゃないと、この映画を批判することは難しいと思います。


「シンゴジラの世界観について」

――五百蔵さんはTwitterで、こう言及されていました。『シンゴジラ』の舞台は「ゴジラを知らない世界」であると。これには、「ゴジラが初めて登場した世界である」ということと、「ゴジラ映画(のようなもの)」を知らない世界であったということですね。
「ゴジラ映画がある世界」ならゴジラが出てきたときに、「例の怪獣が本当に出てきたんだ!」ということになるところ、「怪獣というものが世の中に存在することは想像さえしなかった」という反応が劇中でなされています。
このように、「ゴジラを知らない世界」というのは、ご都合主義的な世界観なのでしょうか?

五百蔵 これは様々な理由が考えられます。つまり、「作家自身の判断」というレベルの理由も考えられるし、この映画自身が「震災文学」であるということ、つまり東日本大震災がなければなかった作品であるということであり、災害後の状況を踏まえて何かをやろうとしているということが明らかな作品なだからです。

これは、庵野さんの企画のスタイルの話で、彼は僕らの世代より一つか二つ前の世代なんですけど、その世代のトップアスリートというか、「トップのオタク」なんですよ。

――トップのオタクという言葉は初めて聞きました!

これがどういうことかというと、アニメ、漫画、特撮というものが何をやってきたのか、どういった理由でそれをやってきたのかというのを徹底的に研究し尽くしている世代で、彼らの世代が一番日本のオタク的なサブカルチャーが面白かった時期に思春期を過ごしている世代です。
そして、庵野さんは特にオリジナルに対して徹底的なリスペクトをする人です。ネットにもあがっている有名な話では、「宇宙戦艦ヤマト」に関する話なんですけど、あれは出渕裕さんが「宇宙戦艦ヤマト2199(2012年、総監督)」という形で実際にリメイクしました。
それ以前にも何度もリメイクの話があって、その何度目かのリメイクの時に、当時出渕も含めた若手のクリエイターが呼ばれた中に庵野さんもいました。そして、みんなでアイデアを出し合ったということがあったんです。

「今度はこんな敵が攻めてくる形にしたらいいんじゃないか」というような話ですね。そんな中、庵野さんだけが「いや、そういうことは一切になしで、ただ単純に最初の宇宙戦艦ヤマトを単純にリメイクすべきだ」と言ったようなんです。

――庵野監督、言いそうですね!

五百蔵 僕は、その話を聞いた時に「やっぱり庵野秀明監督はすごいな!」と思いました。というのは、僕らは企画屋なのでいろいろな作品を研究します。そこで、ガンダムとかエヴァンゲリオンとか宇宙戦艦ヤマトとか、ヒット作の企画内容を実際作られたものから逆算して企画内容を比較検討するというようなことをやったことがありました。

その時に僕らが結論として出したのは、「ガンダムは世界観自体が主人公だから、何度もその世界観を利用して話が作れるけれど、宇宙戦艦ヤマトはそれができない。」ということです。なぜかというと、ヤマトという船がないと成立しないからです。

船としてのヤマトがなぜ魅力的かというと、それは純粋にスペックなどが魅力的というわけではなくて、「あの船が地球の危機を救うためにどこかに旅立ち、満身創痍の中で帰ってくるという船」だからです。

その前提を外して、その他の別の任務に派遣されるヤマトなんか何の魅力もないんですよ。

――(笑)

五百蔵 ただ、その後続編として作成されたヤマトは、ほぼそういう話なんですよ。だから、傑作にはなれなかったと考えています。庵野監督はそれがわかっていたんですよ。「物語性を船自体が担っていてそれを引きはがすことはできない」ということを。だから、宇宙戦艦ヤマトをリメイクするならば宇宙戦艦ヤマトを繰り返すしかないということを。

――何が主人公であるという点、つまりガンダムは世界観が主人公であるという点は非常に面白いご指摘だなと思います。その観点からいうと、この『シンゴジラ』の主人公は、「ゴジラと人」でしょうか。

五百蔵 そう!!ゴジラと人間たちが主人公!!
そうすると必然的に「ゴジラとは何か」ということが重要になってきます。そこを突き詰めていくとゴジラとは何かという必然性は1954年に作成された初めの「ゴジラ」にしかないんですよ。
その後に作成されたゴジラ映画の中でゴジラが子供の味方とかになっていくのは、ゴジラの本来性をゴジラから引きはがしてしまうことになってしまう。それは先ほど述べた「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクと同じなわけです。
そこで、庵野監督は「シン・ゴジラ」を作るにあたって、かつて自身が「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクの際に言及したことと同じように、「原爆が落とされた太平洋戦争後の日本にもう一度同じ災害やってくる」というコンセプト作成され、その「『災害』としての役割を担ったゴジラという存在」という観点で作成された1954年の「ゴジラ」と同じことを、今回は庵野監督は2011年後の日本においてやるしかないと考えたわけです。

そうすると、「ゴジラを知らない世界」として設定するしかないわけです。

――そうするしかない。必然というわけですね。


――最後に「シン・ゴジラで描かれる日本の政治」について聞いていきたいと思います。僕としては、この映画は見始めると話しの中に巻き込まれてしまうので、客観的な視点から見れませんでした。私の場合、3回目にやっと突っ込みの気持ちで見れたのですが、3回目にして「ここに登場している政治家無能だな」とようやく冷静に見ることができたんです。

大杉漣演じる総理大臣が本当に無能だったんだなということがしみじみと感じられました。例えば記者会見の際に「上陸はしません」と断定して述べるシーンがあり、ゴジラが上陸した後側近に「(断定しないと)気持ちが伝わらんだろう」ブチ切れるシーンがあります。これは東日本大震災の際の総理大臣のふるまいを意識したシーンだと思いました。一般的にあの時の初期対応はまずかったと結論づけられていますね。
ここの描写はやはり、日本の政治機構は麻痺していて無能であるという描写ととらえていいんでしょうか?

五百蔵 僕が感じたのは、多分この映画を作っている庵野さんたちは、とりあえずそういった価値判断を一度引きはがすような構成にしよう思っているはずです。

――日本批判とか日本の政治批判のような形にとられないようにということですか?

五百蔵 そう、一度ね。というのはどういうことかというと、多分彼らの中には結果的に日本批判にとらえられかねないし、そうとらえられてもいいと思っているけど、実際の映画上の描写としては、「右的」や「左的」なものと可能な限りとらえられないような描き方をしているということ、つまり、リアルに描くということです。

――フラットに描けばリアルになっていくということですか?

五百蔵 そう、そういうことです。多分あの蒲田くん(ゴジラ第二形態)が登場したくらいまでは、作者の主張らしきものはほぼ登場しません。
矢口がエレベーターの中で「先の戦争では希望的観測により300万人の犠牲が出ました。楽観は禁物です(ピシッ)」というところくらい。
後は、全体的に実際の震災の時に初期対応がいかに遅れていったのかということを並べたに過ぎない描写になっています。
それこそ、赤坂が「2時間のうちにやれることはやった。自惚れるなよ矢口。」と言っていましたけど、あれを赤坂に言わせるということは、作り手の配慮があったということです。つまり、おそらくあそこにいる人がよほど有能であっても初期対応はああなったであろうという流れが描かれています。

――巻き込まれた人の描写もありましたね。

五百蔵 「2時間」ということを強調しているんですけど、この映画距離とか時間をすごくうまく使っていると思うんですけど、それを気にしてくださいねということを観客に情報として出しているんです。牧教授がなにかをして、ドボンとなって、あの状況になるまで2時間。その2時間の間に現在の官僚機構、政治機構でできることがあれ以上にあるのかということを問うたときに、あの映画の後半で描かれるように、かなり先をいった体制なり人間なりがいないと難しかったのではないかということが描かれているんです。

――なるほど。3・11のことでいうと、「誰かの責任だ」というように議論がはじまるわけですけど、そうではなくてあの体制でやると結構な率で同じような結果になることを描写しているわけですね。

五百蔵 そう。かといって、この映画の作り手たちが「それでいい」と言っているかというと、「そうではない」ということも、映画全体を通してみればわかるんです。

――そうですね。

五百蔵 この『シンゴジラ』が分厚いと思わせられるところです。政治は日本のシステムが硬直して無能だからみたいなようにも受け取れるんですけど、そのように糾弾するようには描かれていません。
だれがやってもこうなったかもしれないという視点も残しておいて、だけど全体としてはもうちょっと頑張れたかもしれないなという――。つまり、現実を見ながら理想を語るというようなところに落とし込めて作られています。

――今の話で腑に落ちました。私が、政治的な無能さを3回目に見直すまで感じなかったというのは、「ああいうもんだよんね」と思っていたからでしょうね。

五百蔵 そう!そのとらえ方は、あの映画から感じる印象としては、合っていると思うんです。実際の構成をつぶさに見ると。

――3回目に詳細に見てみると「能力足りてないな」と思ったんですけど、1回目に見たときは、「そうなるしかないな」。だって現実にゴジラが出てきたらどう対応したらいいかなんてわからないですからね。

五百蔵 でも、だんだん対応していくんですよね。最終的にはゴジラもビームを発したリするから(笑)、まあ閣僚たちもほぼ全滅しちゃいますけど。それまでの間は頑張っているんですよね。

――そうですね。大杉連演じる大河内総理大臣も、自衛隊の出動を渋るところから、最終的に総攻撃を支持するところまで行っているわけですからね。

五百蔵 そう。蒲田くんから品川で立ち上がった第三形態のゴジラになるまでの、2時間の間には、災害緊急事態を発令できていて自衛隊を出動できていて、その時に出動が可能な部隊をすでに出動させることができているわけですから。
 ちなみに、あの大河内総理大臣は平時から有事に切り替わったらこうなるよな、という無能さをさらけ出した描写であると思うんですけど、僕が感動したのは品川でゴジラ立って第三形態になって、陸自のヘリ部隊が来て射撃の準備をして、射撃の許可までしたシーンがあるじゃないですか。

――「自衛隊の弾を国民に向けることはできない!」というやつですね。

五百蔵 あのシーンはものすごくいいシーンだと思うんです。庵野監督が物語の語り手として成熟したなと感じることができるシーンなんです。というのは、総理大臣がそういった決断をしたということだけではなくて、「あの判断」は立場によって様々な見え方はするけど、それを全部ひっくるめられるようにできているんですよ。
というのはどういうことかというと、その後の展開を考えると、あそこで第三形態のゴジラを陸自の30ミリで狙撃していたら撃退できていた可能性があったんです。

――そうですね。そうなんですよね。あそこで弾を向けていればね。

五百蔵 そうすると、その後の悲劇はひょっとしたらなかったかもしれない。それは起こらなかったことだから、誰にもどうとも言えないことなんですけど、でも可能性はあるんです。
たけど、大河内総理は違う判断をした。そこでの判断は、「日本は今何をすべきか」ということと「日本は中長期的に何をすべきか」ということがぶつかり合ったんです。
そこで大河内総理は、いま撃つのではなくて、中長期的にこの国が続くためにここで「ゴジラを撃ったが国民を犠牲にした」というような国ではないのだ、という決断をしているんです。
そのような、その時限りの要素と、中長期的な要素などの、様々なものがぶつかり合うようなシーンになるように作られているんです。

――本当に深いですね。

五百蔵 まさに「歴史がそこで変わったという転換点」が描かれているんです!




皆様こんにちは。ハトトカ実行委委員長、もとい、降格して一日副委員長になったハトです!!

Teamハトトカのヤヌシさんが文字起こしをしてくれたので、それを改変したものをブログに掲載致しました。

これだけの分量でも、音源の中の極一部です。文字起こしを読んで興味を持って頂けた場合には、是非是非音源のほうもお聴き下さい。

なお、ハトトカシンゴジラシリーズには、ハトトカメンバーだけで話した『激論シンゴジラ』の前後編と、五百蔵容さんをゲストにお迎えした『シンゴジラスペシャル』1~6を予定、の2系統があります。

『激論』は、シンゴジラを見てすぐの生の感想を元に語っています。

『スペシャル』は、五百蔵さんのトークを中心にシンゴジラを深めていく内容です。

第五十一回『激論!シン・ゴジラ!前編』

第五十二回『激論!シン・ゴジラ!後編』 | ハトトカ いつかあなたと文化祭


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【Keywords】
シン・ゴジラ/前田敦子/様々な層をターゲットにした物語構造/鋼鉄のガールフレンド/世界観が主人公/宇宙戦艦ヤマト/ゲートキーパー/NIGO/自衛隊の弾を国民に向けることは出来ない/転換点/ジャジー/日常

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