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【特別回】シンゴジラ スペシャル ②「巨災対・ヤマタノオロチ・DAICON FILM」(ゲスト 五百蔵容)

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音源の内容の「一部」を文字に起こしました。
ハトトカのメンバーは3名いますが、全員「――」としてのっぺらぼうにしてあります。




――「巨災対」の話に移ります。「巨災対」は「巨大不明生物特別災害対策本部」の通称であり、長谷川博己さん演じる内閣官房副長官・政務担当である矢口蘭堂が率いるプロジェクトチームのことで、どのようなメンバーが集まっているかというと、「出世に無縁な霞が関のはぐれもの、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」などです。

五百蔵 まさに「はい」か「いいえ」しか言わない、「首を斜めに振らない連中」ですね。「首を斜めに振る」というのは昔から霞が関で言われている言葉で、官僚の面従腹背の様を表す言葉です。

――「巨災対」の役割は、観客から見ても非常に重要だと感じています。
この物語は霞が関の官僚の人間ドラマなんですが、我々としてはその人たちの気持ちに感情移入するということは難しいわけです。官僚になるためには、大学卒業、国家一種試験突破、官庁試験突破の上、出世コースを乗り越える必要がありますからね。
ただ、「巨災対」のメンバーは我々の延長線上に位置する人たちが集まっています。つまり、「普通の感覚をもった、一芸に秀でている人たち。」。一般人でも、「一芸だけならエリートに匹敵する能力を持っているはず」と潜在的に思っていることが多いし、なにしろ「はぐれ者」でも大丈夫だから、感情移入ができるような人々がいます。

五百蔵 市川実日子さん演じる尾頭ヒロミ課長補佐(のち課長代理)と、高橋一生さんが演じる安田が僕は非常に好きなんですよ。

――尾頭さんら「巨災対」のメンバーは背景にある人間性を想像できるメンバーなんですよね。例えば、休日に無理矢理ケーキバイキングに連れていかれて、「尾頭ももう少し化粧っ気出せばモテるのにね。」「私はそういうのいいの」みたいなことをやっているのかなという背景を勝手に想像していました。

五百蔵 ケーキバイキングで何をしたいいかわからずに所在なげにしている尾頭さんはいいですね(笑)

――「巨災対」以外の登場人物はそうもいかなくて、矢口蘭堂も竹野内豊演じる赤坂秀樹についてもどのような人物なのかが見えづらく、共感性が極めて低いですけど、「巨災対」のメンバーは背景が想像できて、共感もできるから物語上極めて重要な位置にいると感じました。

五百蔵 「巨災対」のメンバーは「マンガのキャラ」のように描かれているのです。

――確かに!尾頭さんも「ツンデレ」といえるキャラですもんね。また、「巨災対」を仕切っている津田寛治演じる、森厚労省課長も非常にいい役割だと思いました。

五百蔵 「鼻つまみ者」ではあるけれど、まとめ役として非常にいい味を出していましたよね。あの役は、「変な人を扱えるけれど実はあの人普通の人なんだよね」という描写が結構あるんですよ。

――そうでしたっけ?

五百蔵 例えばあの人だけ、ご飯を食べた後に「ご馳走様でした」といいますし、また、他の役には家族関係が出てこないのに、あの人だけスマホの画面に家族が登場して、家族のことを慮っている表上をしている描写があるんですよ。

――ああ見えて普通の人であるという描写をしているんですね。

五百蔵 そうなんです。そういった懐の深い人物として描写しているんです。そのうえで道化役もできる。彼はすごい空気を読むのもうまいんです。
感動する場面として、立川で生き残ったメンバーに対して矢口が訓示をする場面で、「巨災対」のメンバーは様々な人がいるので、矢口の話を神妙に聞いている人もいれば、早く仕事を始めたいと思っている人もいるという描写があるわけです。その矢口の訓示が終わった後、森厚労省課長が周りの様子をちゃんと一通り見てから、「じゃあ仕事を始めよう!」ととてもいいタイミングで言うんです。

――あれは絶妙な間でしたよね。

五百蔵 あれは、チームのまとめ方をよく知っていないと、取れない間の取り方であって、そのことが描写されているんです。チームで仕事をするにあたって、ああいう人はすごく貴重なんですよ。僕もチームで仕事をしていたからわかるんですけど。彼は、松尾諭演じる泉修一政調副会長から、そういった「巨災対」のチームを率いる役割の人物であるという招集されているという描写になっています。矢口も彼に対しては完全に任せて、何も言わないですからね。

――キーマンとして描かれているんですね。しかも、この映画はとても時間を詰めているはずなのに、「こういった間はしっかりとるんだ」と思いました。

五百蔵 そう、そこがこの映画のリアリティを高めるのに一役買っているシーンなんですよ。これは、取材の成果というのもあると思いますし、庵野さん自身がアニメーションの現場をやってきた中で「人間って仕事に対してこういった形で向き合うよね」とか「できる奴はこういうようにしてくれるな」とか「できないやつでも、ここぞというときに気配りできることはありがたいな」というようなことが込められていて、そういった点が仕事をしている大人にとって感じ入ることができる点になっているんですよね。

――確かに「チームあるある」がとても多い映画ですよね。

五百蔵 これは、普遍的な映画を作る際には重要な要素で、「仕事をしていたらこのようなことが起こるはず」ということを各要所に演出として盛り込んでいるんです。おそらく、この映画の裏テーマの一つに「仕事」があるんです。
「仕事をしている人なら、この映画のなかで起きていることはわかるはず、というリアリティーレイヤー(リアリティーライン)があるんです。それは意識して作っているはずです。

――次に「巨災対」に関連して「ヤシオリ作戦」について話を進めていきたいと思います。物語の流れとしては、第一に蒲田に初めにゴジラが上陸し品川へ逃げ、第二に鎌倉から第4形態のゴジラが上陸し、東京駅での放射線流による一帯への大きな被害をもたらすという大事件があり、第三として、「ヤシオリ作戦」へという流れとなっていきます。
「巨災対」については、第一の上陸直後に発足し、その時点から「矢口プラン(後の「ヤシオリ作戦」)」を進めていたのですが、私は初見の際に、ゴジラの放射線流による破壊事件のインパクトが大きすぎて「ヤシオリ作戦」が唐突に立ち上がったように見えてしまいました。この点、私としては「ヤシオリ作戦」について、後10分、いや少なくとも30秒ほど説明を割いてわかり易くしたら、「ヤシオリ作戦」について「わかりづらい」という声もなかったと思います。ネット上でもわかりづらいという意見は多少あって、極端な意見では「ゴジラにジュースを飲ませただけではないか」というものもありました。このわかりづらいという評価についてどう思いますか?

五百蔵 僕もそれは最初見ながら考えた部分ではあって、例えば「ヤシオリ作戦」を「ゴジラにジュース飲ませただではないか」と思うような観客もいたのだろうなと思います。ただ、庵野監督としてはそのように感じる観客に対しては、「別にこの映画を見なくていい」くらい割り切った上で編集をしていると思います。むしろ、「ヤシオリ作戦」をあのように表現したなと思っていて。

――あのように、というと?

五百蔵 有り体に言うと、「ヤシオリ作戦」だけ滅茶苦茶なんですよね。

――(笑)

五百蔵 ただ、とても面白いと思うのは、あれはおそらく実現可能な作戦なんですよ。ビルの倒壊の角度とか、重量とかある程度合理性のあるように作られているんです。

――なるほど。

五百蔵 この話は「本格SF」の領域になってしまうのですが、あのシーンは人類が原始時代に集団性を獲得してからずっとやってきたことを描いているんです。つまり、人間は自分一人の力では弱く、作り出す武器の力も弱い。そのような人間がより大きなものに対して対抗するために行い得ることは2つあって、1つは「集団で知恵を出し合うことで力を最大化すること」。もう1つは「自分たちを卑小なものにしているはずの自然そのものを味方にするということです」。つまり、場所を味方にするということ。

――ああ、マンモス退治で言ったら「崖」に追い込む、というようなことですか。

五百蔵 そう。だから、東京駅の線路上でゴジラが静止したことを奇貨として、その場所を最大限に利用したというシーンがまさにあのシーンなんです。

――「ビルも使えるし、新幹線も使えるぞ」ということですね。

五百蔵 このように、「場所」を味方にするということを無意識にせよ意識的にせよ受け入れられないと、あれは「ただの無意味な絵空事」になってしまう。
この点、松本人志監督の「大日本人」(2007)と対比することで鮮明となる部分があります。これらの映画は、SF映画として非常によく似た構造のリアルな特撮映画であるにかかわらず、最後の戦闘シーンには大きな違いがあります。「大日本人」は、それまでリアルな描写をしていたのに、最後の戦いだけ、子供っぽいコントのような着ぐるみの戦いになる、
一方、「シン・ゴジラ」においては荒唐無稽でありながら真剣かつ壮大な戦いが描かれます。このことは、庵野監督には「絵空事に真実味を持たせたい」という強力な欲望があり、その意義を信じているということを意味します。
このことは、松本監督と庵野監督がなにか共通の本能のようなものを有しているにもかかわらず、作品としては「シン・ゴジラ」が優れたものとなっている理由だと思います。

(大幅に中略)

――あと「ヤシオリ作戦」という名称ですが、この名称も特に劇中説明はありません。後で調べたところによると、日本神話でスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したときに飲ませた酒が「ヤシオリの酒」で、そこに由来しています。劇中には、「アマノハバキリ(天羽々斬)」という言葉だけが出ていて、そこから連想しようと思えばできるんですが、「アマノハバキリ」という言葉を置いておくだけでは一般的にはわからないかと思います。

五百蔵 まあ、わからないでしょうね。ただ、そのことから、何かを連想すること自体に意味はないかと思います。ただ、庵野監督が「ヤマタノオロチ」に関係する言葉を持ってきたのは、非常に深い意味があるんです。

――というと?

五百蔵 先ほど、この「ヤシオリ作戦」は「SF」として、人類が原始時代に集団性を獲得してからずっとやってきたことを描いているものであるということを述べました。「SF」の本質として、「我々はどこから来て、どこに行くのか」という問いに答えたいという点があります。「人間とは過去何であって、現在何で、将来どうなりうるのか」という問いに答え得るのはSFしかありません。
それはSFは近代文明のなかで生まれたものであるために、近代文明がどうなるかを一定の説得性をもって想像することが可能な文学であり、かつ、ファンタジーであることが許されている形式です。そして、「シン・ゴジラ」はそれに正直です。

――なるほど。

五百蔵 そして、「シン・ゴジラ」は、「人間がマンモスを倒した時もこんな感じだったのだろうな」ということに、思いが至れるような構造になっていると言いましたが、神話的な時代の話「ヤマタノオロチ」の話もまさにそのような話なのです。

――ああ、だから「ヤシオリ」と名付けたと。

五百蔵 その神話の中で重要なのは何だったかというと、「人間の埒外のところから襲い掛かってくるような「神」のような存在を倒すのではなく、鎮めるのだ」ということです。そのことが、「ゴジラ退治」に「ヤマタノオロチ」という神話―日本ではそのようなときにどうしてきたのかというレイヤ―が入ることによって、様々なことが語れるようになるということです。この国のこの文化のこの歴史の流れでないと、このような結末にならないというところに落とし込めているんです。

――日本だからこその結末ですね。では、アメリカでゴジラが出てきてもこのような結末にならないと。

五百蔵 ならない。もし、同じような結末にしたとしても、アメリカの歴史から導き出せる歴史として正直ではないものになってしまいます。
また、ゴジラが凍結されたことにより、ゴジラはモニュメントとして残るという描写がされています。あのようにすることによって、いったんヤマタノオロチ退治という日本ローカルな話から、人類全体としての話に開かれる話になっているんです。

――なるほど、あれを人類の教訓として後世に残りますからね。

五百蔵 そう。あれは、「原爆ドーム」であり「アウシュビッツ」であり「チェルノブイリ」なんです。それは人類が何か悲劇があったときに、その悲劇の現場をないことにするのではなく、モニュメントとして残しておくことにより人類全体がどこでもそのことを思い起こさせるようにするという願いの表現なわけです。




皆様こんにちは。ハトトカ実行委委員長、もとい、降格して一日副委員長になったハトです!!

Teamハトトカのヤヌシさんが文字起こしをしてくれたので、それを改変したものをブログに掲載致しました。

これだけの分量でも、音源の中の極一部です。文字起こしを読んで興味を持って頂けた場合には、是非是非音源のほうもお聴き下さい。

なお、ハトトカシンゴジラシリーズには、ハトトカメンバーだけで話した『激論シンゴジラ』の前後編と、五百蔵容さんをゲストにお迎えした『シンゴジラスペシャル』1~6を予定、の2系統があります。

『激論』は、シンゴジラを見てすぐの生の感想を元に語っています。

『スペシャル』は、五百蔵さんのトークを中心にシンゴジラを深めていく内容です。

第五十一回『激論!シン・ゴジラ!前編』

第五十二回『激論!シン・ゴジラ!後編』 | ハトトカ いつかあなたと文化祭



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